映画「アベンジャーズ/エンドゲーム」でトニー・スターク(アイアンマン)扮するロバート・ダウニー・Jrが演じてみせた秀逸な二律背反について
- 1.映画「アベンジャーズ/エンドゲーム」でトニー・スターク(アイアンマン)扮するロバート・ダウニー・Jrが演じてみせた秀逸な二律背反について
- 2.トニー・スターク(アイアンマン)のキャラクターとスティーブ・ロジャース、ピーター・パーカー等との違いと比較
- 3.「私はアイアンマンだ。」の真の意味と、それをロバート・ダウニー・Jrがあのように演じた必然性とは何か?
1.映画「アベンジャーズ/エンドゲーム」でトニー・スターク(アイアンマン)扮するロバート・ダウニー・Jrが演じてみせた秀逸な二律背反について
ロバート・ダウニー・Jrが、映画「アベンジャーズ/エンドゲーム」で演じてみせたトニー・スターク(アイアンマン)としての演技の奥深さは「自信のあるヒーロー」を演じてみせたからではないでしょう。
むしろそれは「自信家でないヒーロー」そのものでしょう。
これはいわゆる二律背反にあたる。
ヒーローというものは本来自信家であらなければならないからです。
「アベンジャーズ/エンドゲーム」のトニー・スタークは、もう敵に勝てるという絶対的な自信に満ち溢れてはいません。
今度の戦いでは自分は負けるのではないか?
自分は死ぬのではないか?
そう思いながらも戦いに巻き込まれていく。
そういったヒーローを演じています。
これはロバート・ダウニー・Jrがトニー・スタークという人間を独自解釈してできあがったキャラクターであり...
もしロバート・ダウニー・Jr以外の俳優がトニー・スタークを演じていたならば...
おそらく全く違ったキャラクターができあがったに違いない...
そういう気がします。
これは監督や脚本家によって作られたものかというと、おそらく違うと思うのです。
ロバート・ダウニー・Jrが脚本をじっくり読んで 、自らの演技とキャラクターを練り上げた結果できあがったもの...
これが最終的に映画に反映されています。
脚本家と俳優というものは、一方的に脚本家から俳優に指示がいく、というものではなく、双方的に形作られていくものでしょう。
そして結果として反映されたロバート・ダウニー・Jrの演技に誰もが納得させられた...
そういうことではないでしょうか?
それではトニー・スターク以外の他のキャラクターと比較してみましょう。
2.トニー・スターク(アイアンマン)のキャラクターとスティーブ・ロジャース、ピーター・パーカー等との違いと比較
トニー・スタークのキャラクターはスティーブ・ロジャース (キャプテン・アメリカ)やピーター・パーカー (スパイダーマン)のそれとは全く異なるものです。
彼らは正義感あふれるヒーロー。
ピーター・パーカー演じるトム・ホランドは、若くて好奇心溢れるヒーロー。
スティーブ・ロジャース演じるクリス・エヴァンスは大義を重んじるヒーローで、目的のためには重責も厭いません。
しかしトニー・スタークはそういうキャラでない方が映画としての深みが増します。
トニー・スタークはエゴイスト。
自信家であるように見えますが、それは表面的なもので、むしろエゴイストであるが故にそのように見せているのだと言えます。
ソーも見かけは豪快で自由奔放なエゴイストのようにも見えますが、同時に人情家でもあり、その情念の強さはトニー・スタークほどではありません。
トニー・スタークの内面はさほどヒューマニズムに溢れているわけでもなく、ガッツとバイタリティに満ちあふれてはいますが、模範的人格者というわけではなく、時には独りよがりな態度を見せたりします。
彼の言動はやがて敵を作り、またいろんな波乱に自分自身を巻き込んでいきます。
それに対し、彼は自身の正義感を持って戦うのですが...
しかしそもそもそういう運命に自分を引き込んでいるのは、自分自身の過去の言動なのです。
ただ誠実に慎ましく過ごしているだけだったならば、別に波風も立ちません。
スターク社の2代目で自らも天才的な発明家かつ大富豪...
その内面にあるエゴイズムが表面に出れば出るほど、その奥にある繊細さや弱さも浮き彫りになる。
本来能力というものは、あからさまに、これみよがしに曝け出すべきものではありません。
ほとんどの社長や経営者は、自分を出しすぎず、世間的には自分を曝け出しすぎないようにして生活しています。
その方が自分の生活が安定し、また他人からも批判されづらいからです。
その方が賢い生き方です。
これはどの国でもいっしょです。
3.「私はアイアンマンだ。」の真の意味と、それをロバート・ダウニー・Jrがあのように演じた必然性とは何か?
「I am Iron Man.」
私はアイアンマンだ。
この言葉ほど二律背反に満ちている言葉はありません。
一見この言葉はヒーローを指しているように見えます。
しかし実際には自分はヒーローではないことを自覚しているからです。
エゴとヒロイズムは紙一重です。
とても危険なものです。
むしろ関わらない方が良いです。
しかし人間心理の奥を逆手に読むと...
それこそが人間の心を強く捕らえてしまうこと。
この思いに人々は翻弄されてしまうこと。
そしてそれはいつか終わりを迎えなければいけないものです。
この映画においては主人公の死。
つまりトニー・スタークの死です。
アメコミ映画や娯楽映画、SF映画のように見せかけながらも、実は優れたヒューマン・ドラマに転化している...
これはロバート・ダウニー・Jrだったからこそできた俳優職人としての技で...
逆に言えば彼はこういうふうにしかトニー・スタークを演じることができなかった...
もしこの演技を監督や脚本家から、真っ向から否定されていたとしたら...
そもそも「アイアンマン」の1作目は作られなかったかもしれない...
あるいは全く別のものになっていたかもしれない...
10年以上かかったこの壮大な物語も、また違ったものになっていたかもしれません。
もちろんロバート・ダウニー・Jrの演技が、それだけ説得力のあるものであったからこそ、この物語はこのような素晴らしい感動的な終わりを迎えることができたのでしょうが。
いずれにせよ、これは自分のオピニオンでしかありません。
私にはただ語り、文章を紡ぐことしかできません。
今回の記事はこれで終わりです。
それでは最後まで読んで頂いてどうもありがとうございました。